青森県三沢市観光、寺山修司記念館へ行ってきました。

旅行


青森県の三沢市にある寺山修司(てらやましゅうじ)記念館に行って来ました。
寺山修司さんは昭和10年生まれ47歳でこの世を去りましたが、ラヂオ、テレビ、アングラ演劇、作詞など、メディアの寵児と呼ばれ(wikipedia)たくさんの作品を残した人です。今回旅行で訪れるまで寺山修司という人を良く知りませんでしたが、みんなが知っている作品に幅広く係わっていながら、アングラという独特の世界を持った不思議な魅力に惹かれました。

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青森県三沢市 寺山修司記念館の外観

昨年末に旅行で訪れたのがここを知るきっかけでした、だからそれまで寺山修司という人を良く知りませんでした。音楽の分野では”あしたのジョー”や”時には母のない子のように”など有名な曲を含め何百曲と作詞していたり、小柳ルミ子さんを芸能界にスカウトしたのも寺山さんだと言われています。(古館伊知朗さん談)。
映画や劇団についてテレビで語られるときにとても重要な人物として登場するのが寺山修司さんです。

そんな独特の世界観を持つ寺山修司さんの記念館はとても独特な形をしています、まず記念館へ向かう一般道路もゴーカートコースの様に一方通行の道路が木々や芝生を挟んでぐるっと周わるようになっていて、そのロータリーの一番奥に建物があります。折れ曲がった渡り廊下を通ってエントランスに向かいます、手すりの上にある指差し型のオブジェや入口の扉のデザインは横尾忠則氏作で、記念館のデザインは粟津潔氏という今では日本を代表する大物グラフィックデザイナーのものだそうです。

 

 

 

 

 

入口のあるホワイエ棟と渡り廊下でつながった展示棟に分かれていて入口では寺山修司さんの作品「田園に死す」の主人公しんちゃんが迎えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

この顔を白塗りした少年と柱時計が象徴的なアイテムで、記念館の形はこの柱時計をモチーフにしているようです、入口への折れ曲がった渡り廊下は振り子にも見えませんか?
ホワイエ棟の外壁にはたくさんの銅版が貼り付けられていてとてもにぎやか、外には舞台もあって屋外劇場になっています。

青森県三沢市 寺山 修司 記念館の様子

入口に入るとカウンターがあり先程のしんちゃんが出迎えてくれます。渡り廊下を渡って常設展示場へ入ると薄暗い空間が広がっています。
寺山修司さんは”一言では言い表せない不思議な人”と表現され、いろんな年代にいろんなところに足跡を残しているので常設の展示室は寺山修司を探すことをテーマにしています。大きな天井があり、屋根裏部屋のようなスペースに木製の机がたくさん並んでいて机ごとにおいてある懐中電灯を使って机の引き出しをひとつひとつ開けて見学すると言う面白いスタイルです。

 

 

 

 

引き出しがスイッチになっていて音がしたり映像が流れたりもします。寺山修司の作品では机も象徴的なアイテムのひとつのようです、大きな天井の上には寺山修司の不思議な世界が広がっています、この天井は1967年に結成された劇団、

天井桟敷(てんじょうさじき)を表しているのかもしれません。

 

天井桟敷
通常の桟敷席(さじきせき)というのは舞台に近く花道なども良く見え劇場の前の方なので天井も高く特別な良い席のことを言いますが、客席のずっと後ろの方の舞台から一番遠いところにあり2階3階など天井に差し迫った安い客席のことを天井桟敷と言います。(歌舞伎では大向こうと呼ばれる)安いので演劇が大好きな人には毎日でも通える特別な席で、目の肥えた通の人達が毎日おしかけて来てはいい加減な芝居には「へぼ役者!!」などと掛け声をかけるようなある意味役者にとっては一番怖い人がいる席のことを指して使われることもあります。(自己解釈ですが概ね合っていると思います)

家族旅行で行ったので子供達(中、高生なのでそこそこ大きいですが)も一緒に見ました、アングラなのでどうかと思いましたが子供向け?にスタンプラリーみたいなのがあって展示の中から答えを導き出すゲームみたいなのがあって楽しんで見学していました。

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寺山修司の作品庫

常設展示場の一角に半地下になっている資料室のようなスペースがあります。ガラス張りの部屋へ下りていくと所狭しと寺山修司に関係する資料がたくさん置いてあります、明日のジョーも全巻あるようです(笑)。映画などの作品も置いてありビデオデッキやテレビもあるので視聴できるんですね、大変です、ここではまってしまったら何時間あっても足りなくなりそうです。時間があれば順番に作品をみたい所です。視聴は別にして、館内をぐるっと一通り見るには1時間半くらいあれば見ることができます。

まとめ

寺山修司さんは少年期をここ三沢で暮らしました、お母さんが働きに出て帰ってくるまで、夜ひとりで留守番をしていたようです。その間きっと色んなことをたくさん自由に空想していたんだと思います。目の前にある机や柱時計にいろんな物語を展開していたのかな、と思いました。見学が終わったあと館長さんらしき人がパンフレットなどには書かれていない寺山修司さんの暮らしなどを教えてくれました。私は芸術に詳しいわけではないですし、お粗末な素人の個人的な感想ですが、寺山修司さんをとても身近に感じて、色々知ることが出来て面白かったです。行ってよかった!と思いました。

意外なことに、別の旅のところで天井桟敷に出会うことが出来ました。
その時の記事はこちら。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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