旧渋沢邸の移転の歴史、深川、三田、青森、そしてまた江東区へ・・・

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 一昨年の冬に家族旅行で訪れた青森屋の公園にあった渋沢栄一さんの旧邸宅”旧渋沢邸”。また見に行きたいと思っていたところ、現在は移転工事のため見学できなくなっていることを知りました。もう二度と見学することは出来ないのでしょうか?なぜ青森県に渋沢邸があったのか?過去の歴史は?これからどこに行くのか?
※2019.9.15(sun)追記あり。                                             色々調べているうちに集まった旧渋沢邸の情報を素人レベルですが少し整理して移転の経歴をつないでみました。偶然出会った歴史的建築物にすっかり魅了されてしまいました。実際に自分の足で歩き、息吹を感じたこの建築物の運命を知りたかったのです。

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旧渋沢邸の建設、深川時代

 渋沢栄一さんは6つの私邸を持ったと言われています、明治9年に深川福住町にあった玄米問屋の商家を購入し、現在大手ゼネコンのひとつ「清水建設」の創業者、初代清水喜助の婿養子の二代清水喜助に依頼し改造して明治10年に引っ越しました。この時のお屋敷が今回の”旧渋沢邸”です。内玄関と土蔵を含めて240坪ありました。 もともとあった商家を購入して改造したとのことで、1から建てたものではないことも意外でした。                 初代清水喜助は富山出身、江戸時代の大工棟梁で日光東照宮の修理に参加したあと神田に創業し江戸幕府の仕事を請け負うほど信頼される腕前だったようです。初代に腕を見込まれて婿として迎えた二代清水喜助は築地ホテル館、第一国立銀行などの建築を手がけ、現存する作品は今回の”旧渋沢邸”のみと言われています。今回とテーマが違うので詳しくは触れませんが、この名工といわれた二代清水喜助の技術の結晶が随所にみられる貴重な建物になりました。    「旧渋沢邸は渋沢栄一が自宅として最初に建てた建物」とも言われていますが、
日本最初の銀行「第一国立銀行」(現在のみずほ銀行)は”明治6年(1873年)兜町の私邸内に創設された”という説明もあり、今回の旧渋沢邸以前に兜町にも私邸があったようです。

 渋沢栄一さんは時代に先駆けて、ビジネスには銀行や保険業、運送業と同じくらい倉庫業が重要として、この深川福住の渋沢邸内の大きな倉庫を貸し出す倉庫業を明治30年に開業します。その後、水害などの理由で32年間建っていた深川の地を離れ、明治42年に三田に移転します。深川には現在も澁澤倉庫本店が建っています。

三田綱町(みたつなまち)での渋沢邸の歴史

 渋沢栄一さんは明治21年に兜町に邸宅を建てて再び戻った、と言われています。彼が自ら作った会社、澁澤倉庫がある深川の渋沢邸がどのように使われていたのかは見つけることが出来ませんでしたが、彼の長男の篤二さんや孫の敬三さんの家として使われ澁澤倉庫を営んでいたようです。                         移転された三田は高台で地盤も頑丈で水害もなく、関東大震災(大正12年1923年)にも耐え、戦争時も被害が少ない地域でした。昭和4年(1929年)、孫の敬三さんが西側部分を一部解体して洋館を増築し328坪になり現在の建物になりました。このときの施行も清水組が行ったそうです。渋沢家と清水組は代々のお付き合いのようです。                                                   三田綱町には明治42年(1909年)から昭和21年(1946)までの37年間、渋沢家の邸宅として使われましたが、戦後すぐの昭和22年、財閥解体により国に物納され三田共用会議所と呼ばれ大蔵省管理のもと各省庁の共同会議室として使われるようになり、外国人の接待、会議、パーティーなどに使われました。その後平成4年までの46年間、国の管理下で大切に使われました。                                               実際には渋沢家は財閥と言われるほどの独占した体制を取っておらず、GHQの再調査で財閥指定の解除を申し出るよう言われましたが、当時の頭首渋沢敬三氏は率先して物納したといわれています。

遠く青森県へ、そして最後の移転、ふるさとへ

 渋沢栄一さんが私邸としてから115年が経ち、老朽化と道路拡張などから取り壊しの危機にあった三田共用会議所(旧渋沢邸)を救ったのは渋沢栄一さんと敬三さんの秘書、執事を長期に努めた杉本行雄氏でした。旧渋沢邸の平面図にも杉本氏の執事室が記載されています。                                杉本氏は渋沢栄一さんが十和田に渋沢牧場をつくり産業の基盤を作り上げた時に農場の経営に携わり、昭和46年(1971年)に三沢に温泉を掘り当て昭和48年(1973年)に古牧温泉を開き一大温泉観光地を築きあげた人でした。                                                 当時は十和田観光開発社長であり渋沢家の恩に報いる為に大蔵省に懇願して平成2年(1990年)旧渋沢邸の払い下げを受けることになり総工費12億円をかけて移設しました。                       この際に建物の綿密な調査が行われ詳細な報告書が作られ細部に使われた工法まできわめて良い条件で保存されました。このとき解体・復元したのはもちろん清水組です。移設は平成3年10月15日、敬三さんの命日に完了しました。                                                    杉本氏の作り上げた古牧温泉は巨大な観光温泉地となりましたがバブルの崩壊後、経営を立て直すことが出来ず平成16年(2004年)経営破たんしてしまいます。その後星野リゾートが再生に着手し、破綻から5年間かけて黒字化しましたが「旧渋沢邸」は閉鎖されたままでした。 せっかくの目玉施設の公開に向けて行政と相談し文化財登録を行い平成21年(2009年)7月24日、六戸町の文化財の指定を受けました。(星野リゾート青森屋の建っているところは三沢市ですが公園は六戸町になっています)、                             文化財登録指定されたときは特別講演会が開かれ平成23年(2011年)春より一般公開される予定でしたが、震災もあったので実際はどうだったか分かりません。                                   私が訪問したのは平成29年の冬でした、中には入れるのか、入れないのか良く分からず、人の気配も無かったのですが正面玄関に周ると鍵が開いていて見学用のスリッパも置いてあったので朝食前に見学してきました。         大きなお屋敷で時間も無く駆け足で見学しましたが、その時は「せっかく来たんだから」となんとしても見ておきたいと思ったのでした。最近ニュースで取り上げられるようになり、また見てみたいとホテルに電話をしてみたところ今年、平成31年(2019年)3月より移転の工事が始まっているとのこと。経緯はわかりませんが清水建設が2018年に旧渋沢邸の売買予約契約を締結したことが清水建設のホームページで発表されていました。       約28年間過ごした青森を離れふるさとに帰るようです。三沢は豪雪地帯ではありませんが積雪はあるのでこのままでは雪で建物が傷んでしまうのは避けれられなかったでしょう。 渋沢栄一さんが最初に建てた東京都江東区にある清水建設の敷地内に移転されるとの事でしたが清水建設には江東区に清水建設技術研究所があります、個人的な予想ですがここに移転される可能性が高いのではないかと思っています、一般公開されるかどうかは分かりません。

まとめ

 六戸町では最後の一般公開を1月に実施して多くの人でにぎわったようです、明治10年(1877年)に渋沢栄一邸として完成してから今年2019年で142年、移転工事がどのくらいかかるのか分かりませんが140数年の時を経て清水建設の創業陣、清水喜助の作品が故郷に帰ることになるようです。帰るべき場所に帰るような感じで良かったとは思いますが、ぜひまた一般公開して頂きたいなと思います。                      何度も損失の危機をくぐりぬけて来た”強運の家”はパワースポットと呼ぶ人達もいますが、実際に自分の目で足で見学することが出来たのは本当に運が良かったと思いました。

素人まとめで至らないところも多々あったことをお詫びします。
正二位勲一等子爵の渋沢栄一卿を気軽にさん付けでお呼びしたことをお詫び申し上げます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

※2019.9.15(sun)追記
今日の地元紙の朝刊にうれしいニュースがありました!
2020年度移築予定で予想通り清水建設の研究・研修施設に移転されるとのこと。敷地全体が完成するのは22年3月予定で一般公開も予定しているとのこと!!よかった!うれしい知らせですね。記事にしてくれた岩手日報社に感謝いたします。

※さらに追記
この記事を読んでくださった方からもメールで情報を頂きました、読売新聞に清水建設の社長の記事が載っていて一般公開する旨書いてあったそうです。調べてみると他の新聞社でもこの話題が記事になっているようです。清水建設のホームページのニュースリリースに大元の情報がありました。江東区にある現在の研究所から3kmのところに新しく大規模な”イノベーションセンター”を造ることになっていて、渋沢邸はそこに移設されるようです。

※2020年11月24日追記。

清水建設のホームページにはさらに詳しい内容が掲載されています。清水建設ならではの鮮明で貴重な写真などの資料がたくさん公開されていて見入ってしまいます、以下の2記事参照。(リンクはさせてないので検索してみて下さい)

歴史的建造物140余年の時を超えて受け継がれる「旧渋沢邸」2019.8.27

・旧渋沢邸再築工事に近く着手~潮見イノベーションセンター(仮称)が起工。

参照
清水建設ニュースリリース2019.6.7
『約500億円を投じ、大規模イノベーションセンターを新設』
~研究・研修施設、歴史資料展示施設、移築・保存する旧渋沢邸を一体整備~

出典:
公益財団法人渋沢栄一記念財団 デジタル版「渋沢栄一伝記資料」
第14巻2編1部3章26節6款 渋沢倉庫部
ウィキペディア「清水建設」「澁澤倉庫」「渋沢財閥」「綱坂」
古今建物集・・・美しい建物を訪ねて(6)井出昭一(平成19年4月7日)
清水建設:”「旧渋沢邸」の移築計画について(おしらせ)”
なんとかなるさ日記:稀代のパワースポット「旧渋沢邸」その1、その2
六戸町指定文化財特別講演会「強運の家」:渋沢雅英氏
旧渋沢邸案内看板

コメント

  1. genheywoodkirk より:

    昨年、2018年の3月にまさにこの建物を見るために三沢に旅行しました。
    この建物のことを知ったのはもう30年も前、藤森照信氏の著書「建築探偵の冒険〜東京編」の最終章「東京を私蔵したかった人の伝」を読んだ時です。青森・三沢に移築されたということを知ったのはもっとずっと後ですが。
    私が訪れた時には既に内部の公開はしていませんでしたが、外見を見るのは自由でした。建物の規模風格もさることながら、非常に広々とした閑静な土地に伸びやかに置かれた佇まいが印象的でした。良い土地に移されたのだな、とその時は感じたものです。
    清水建設の手により東京・深川に再移築されることを知ったのは今年になってからでしたが、気になったのはあの渋沢栄一・敬三の銅像、そして渋沢神社、渋沢大門等はどうなるんだろう?ということです。杉本行雄氏が心血を注いだ忘れ形見(単に自分のホテルの観光施設の一つとしてならあれほどのものは造れません、それだけ渋沢家への敬愛の念が篤かったのでしょう)なのですから併せて移築、それが無理ならなんとか現地保存の方途を探ってほしいものです。
    それにしても此度の新一万円札への肖像採用のニュースで再び渋沢翁に注目が集まりましたが、既に所有を手放していた星野リゾート・六戸町・三沢市・青森県は「しまった!」と内心悔しがってるんではないでしょうかね(笑)正直なところ管理維持にも金がかかるし持て余していたところへ清水建設の購入依頼が来て渡りに船と応じたのでしょうが、今となっては...

    • shiraco より:

      genheywoodkirkさんコメントありがとうございます。
      旧渋沢邸については調べれば調べるほど奥が深く、多くの人が関心を持っていたのだなぁと驚いています。30年も前にご存じだったとのことで”藤森照信氏の著書「建築探偵の冒険〜東京編」”を教えていただきありがとうございます。検索したところ、中古でも結構出ているようなので注文してみました。見る人が変わればとらえ方も変わるようで色々な人のこの建築物への想いを見たり聞いたりするのは面白いものです。そうですね、銅像と渋沢神社はどうなるのでしょう?ゆかりの地という事で現地に保存されていくことを希望したいところです。また資料館や晩香炉を模した建築物もあるので、本館が無くなってしまうのは残念ですが(維持が大変ですし、、、)残りの建物は継続して管理、公開して頂ければなぁと思います。本館、旧渋沢邸に関しては、清水建設の初代の唯一現存する作品とのことで、長い年月を経て故郷に帰れることは良かったと思います、ただ、願わくばまた見学出来たらいいなと、個人的には思っています。
      今回はコメントありがとうございました、私のブログへの初コメントでした、感謝します。

  2. 百子 より:

    この秋に東京から青森への旅を計画し、敬愛する澁澤敬三先生のお住まいに聖地巡礼したいなぁと思いましたら、東京へ移築とのこと。

    敬三先生が増築した洋館部分の使われ方や、杉本氏と澁澤家の関係、自ら積極的に渋沢邸を物納した経緯などは「旅する巨人-宮本常一と渋澤敬三」(佐野 眞一 著 )に詳しく遺されています。

    歴史的な財界人である祖父と、家督を放棄した父と、戦前戦後の苦難の時代に翻弄されながらも、財界・政界・文化の三本道を生ききった孫。

    栄一翁より、敬三ラブです笑

    脳内で間取りを想像していたので、平面図の一部をアップしてくださっていて嬉しかったです。旧邸も移築後に公開されることを切に願っています。

    • shiraco より:

      百子様へ、

      コメントありがとうございます!
      ”栄一翁より、敬三ラブ”とはいろんな見方があるんですね。
      また書籍のご紹介ありがとうございます!

      本当に人によってとらえ方は様々でおもしろいので書籍を探してみます。

      コメントありがとうございました。

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