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新紙幣の顔、渋沢栄一の青森県にある旧邸宅の中を見学して来た。

投稿日:2019年4月15日 更新日:


 新しいお札が2024年に発行されます。一万円札の肖像画に選ばれたのが渋沢栄一さんですが、彼が37歳のとき(明治10年)自宅として建てた邸宅が青森県三沢市の星野リゾート青森屋の広大な公園の敷地内に保存されていました。
残念なことに2019年3月より移転のための工事が始まっており、渋沢大門から先は立ち入り禁止となっていて現在は見学が出来なくなっているようです。一昨年の冬に家族旅行に行った時に運よく中に入ることが出来たので見学したときの様子をご紹介します。この文章がほぼ完成する頃に移転の情報を知ったので、今となっては知っても仕方ない情報になってしまいましたが、ここ三沢にあった時の様子を書き留めておきたい気持ちもあって、そのまま使う事にしました。”各時代を代表する要人が多数訪れた”という当時のにぎわいが目に浮かぶような立派な建物です。とても広いお屋敷で急いで見て周りましたが、もっとじっくり見ておけばよかったなーと後悔しています。

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星野リゾート青森屋の広い公園

星野リゾート青森屋には約22万坪という広大な公園があるので、まず旧渋沢邸のある位置を地図に示してみました。地図には「古牧温泉渋沢公園」と書かれていますし、旧渋沢邸の近くには渋沢神社があるなど、渋沢栄一さんの影響が強いことが分かります(後述)。大きな池(かっぱ沼)をぐるりと遊歩道が囲んでいます。

 通常のルート(A→B)は公園内の遊歩道から渋沢大門をくぐって行く正しいルートです。また、宿泊した時は冬だったので通れませんでしたが、宿泊者ならロビーあたりから裏へ出て遊歩道を行くと近道で行けるようでした。今は通れるかわかりません。旧渋沢邸の正面玄関は冒頭の写真からみた方向の反対側にあります。

公園の入り口から旧渋沢邸、渋沢神社への道順

 公園入り口にも西大門という門があります、門をくぐったらゆるい上り坂をまっすぐ進むと、きれいに選定された植木の先、左手に渋沢大門があります。


 ここが入り口ですが入っていくと小高い山が目の前に現れます。この山を左右に周りこむように道が続いていて進んでいくと旧渋沢邸が見えてきます。

この山の前には渋沢神社が建てられていて渋沢栄一さんとお孫さんの渋沢敬三さんの銅像が立っています。


旧渋沢邸を横から見るような位置に出るのでこの垣根を右に周ればいいのか左に行けばいいのか悩みましたが(時間があまり無かったので)良く見る冒頭のような写真は右に進んで晩香炉(ばんこうろ)

と言われる、ゆかりの建物がある方から見た写真です。実際に中を見学する為の玄関口は左に行った方にあります。


こちらが正面の玄関です。
こちらから入ると玄関ホールにスリッパが置いてあって、順路の看板も立っています。玄関から右方向の部屋に入ると洋風の立派な応接室があります。

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旧渋沢邸の内部

旧渋沢邸は渋沢栄一が建てた和風建築と孫の敬三が増築した洋館部分で出来ています。


※ピンボケですみません。

 洋館の応接室に入ると、かつては多くの財界人や政治家などがたくさん訪れてにぎわっていたんだろうな、という感じがします。応接室も二部屋あり、

大事な話は隣に続く書斎を使っていたんだろうか?などと勝手に想像してしまいます。何箇所か暖炉があり多くの人が交流していた姿が目に浮かぶようです。

 当時の息使いが聞こえてきそうなのは洋館の応接室だけではありません。私が一番当時の活気を感じたのはむしろ台所です。多くのお客さんをもてなす為に、たくさんの人が厨房で働いていたと思われる大きな台所!女中室と書かれた部屋もかなり大きな部屋でした。

 残念ながら写真を撮っていなかったのですが、個人的な印象で言うと”借り暮らしのアリエッティ”のような雰囲気の台所をもっと大きくしたようなイメージで、たくさんの戸棚があり沢山の食器がしまわれていたんだろうと思います。

 ちょっとマニアックですが、たくさんの歴史に残る偉業を支えた台所になんだか感銘を受けてしまいました。

増築前の和風建築の方はもっと生活が感じられる空間でした。

ただとても大きなお屋敷なので廊下が入り組んでいたり、突然ホッとする中庭があったり、



有名な”黒柿の階段”があったり見所が沢山あります。

建築に当たったのは名工と言われた清水建設の始祖の二代清水喜助・・
現在では調達できないような貴重な材料を惜しげもなく使って、和風建築の高度の技術を駆使した結晶の数々を目にすることが出来ます。
出典:古今建物集・・・美しい建物を訪ねて(6)井出昭一(平成19年4月7日)


まとめ

 新紙幣のデザインが発表されてから、あちこちのテレビ番組で特集され”日本資本主義の父”と形容される渋沢栄一さんですが、本当は”みんなが幸せになること””人々の幸福や富に永続性をもたらせること”を願っていた人だと彼のお孫さんや曾孫さんがコメントしていました。
 第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業の設立に携わったすごい方ですが、あえて親しみを持って”渋沢栄一さん”と”さん”付けで呼ばさせて頂きました。

 青森屋に渋沢栄一さんの影響が色濃いのは、十和田の産業の基盤を作るために渋沢農場を作ったり、彼の秘書だった杉本行雄氏がこの地に温泉を掘り当て一大観光温泉を築き上げるなどの縁があった為です。
 旧渋沢邸がここに移転された経緯は渋沢栄一さんを心底敬愛していた杉本行雄氏が東京の旧渋沢邸が取り壊しの危機にあった物を払い受けし移設したものです。
建築物としても大変貴重なものであり今後は清水建設が自社の敷地に移転する予定です。

出典の井出昭一さんのエッセイは詳しく丁寧に説明されていてとても分かりやすくためになりまた。ありがとうございました。

一昨年旅行で行ったときの記事はこちら。
星野リゾート青森屋へ家族旅行で泊まってきましたよ!2017冬 公園散策編

旧渋沢邸の移転の歴史をまとめてみました。
旧渋沢邸の移転の歴史、深川、三田、青森、そしてまた江東区へ・・・

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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  1. […] 説明もあり、今回の旧渋沢邸以前に兜町にも私邸があったようです。 ※青森屋の地図は別記事 新紙幣の顔、渋沢栄一の青森県にある旧邸宅の中を見学して来た。 を参照にして下さい。 […]

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